始まりはいつも突然だ。まるで霧の中から現れたかのように、奴は私のスマホの片隅にいた。
Temuファームランド。その名を聞いただけで、今はもう、遠い目をしてしまう。
「無料商品、差し上げます」
その言葉は、荒れ地に染み込む雨のように、私の心にじんわりと浸透した。タップ。その瞬間、私の現実とファームランドの世界が曖昧になり始めた。
異世界へのパスポートは「水」
ファームランドに植えられた作物。こいつらを育てれば、向こう側の「無料商品」という名の何かと交換できるらしい。
育て方?簡単だ。
- 水をやる。
ひたすら、水をやる。それだけだ。
画面をタップするたびに、デジタルな水滴がポチャンと落ちる。その音だけが響く空間。なぜか、その行為に抗えない自分がいる。これはゲームなのか?いや、違う。もっと根源的な、何かだ。
水源は、かつての友人たち
水は無限ではない。時間で回復する微量な雫。アプリ内を徘徊して拾う、意味不明なタスク報酬。そして、最も効率が良く、最も心を削る「友達招待」という名の水源。
かつて人間だった頃の私は、友人を大切にしていた。しかし、ファームランドの住人となった私は、「彼らを水をもたらす可能性のある個体」として認識し始める。
「〇〇さん、お久しぶりです!最近どうですか?
あ、そういえば、あのですね…ちょっと、水を、いただけませんか…?」
(心の中の声:頼む!水くれ!じゃないとこの作物が育たん!)
送信ボタンを押す指先は震える。受信側には、この狂気の片鱗が見えているのだろうか。ブロックされるたびに、私はわずかな水源を失い、さらに枯渇していく。
育つのは作物か、それとも私の歪みか
作物は、まるで意思を持っているかのように水を要求する。最初はあっという間に成長するくせに、終盤になるとピタッと止まる。「あと〇〇円」「99.99%」。その数字は、嘲笑っているようにしか見えない。(この99.99%の絶望については、また後日詳しく語ろう…)
無料
商品
その響きは甘く、私をこの地に縛り付ける鎖だ。しかし、この水やり行為に費やした時間、失われた人間関係、そして変容していく私の精神状態。これらすべてを天秤にかけた時、本当に無料なのか?という疑問が、乾いた土のように心に広がる。
もはや、作物を育てているのか、それともファームランドという名の巨大な生命体に私の意識が養分として吸収されているのか、区別がつかない。
そして、水やりは続く
今日も朝日が昇る。私の指先は、無意識のうちにTemuのアイコンを探している。そして、あの畑へ。ジョウロを手に、ひたすら水をやる。
チャポ…チャポ…。
この行為の先に、本当に無料商品があるのだろうか。あるいは、無料という概念そのものが、このファームランドが生み出した幻影なのか。それは誰にも分からない。
ただ、水やりだけが続く。
チャポ…チャポ…。
もし、あなたがまだこの農園の入り口に立っているなら、どうか引き返してほしい。ここは来るべき場所ではない。ここは…私が水をやる場所だ。
2025.05.02 13:10 | |
2025.06.30 08:30 | |
Temu(ファームランド) |